前回から引き続き、1984年に発行されたOFCタリフシリーズの記念すべき第1号を見ていきます。
OFCは1984年2月に、当時の日本航空から分離して創業しました。その直後の4月に最初のタリフ書籍が発行されたわけです。
それから30年以上の時を経て、今は書籍よりもWEBタリフの方が多くお使いいただけているのではないかという状況ですが、当時はどんな内容だったのか。一緒に見てまいりましょう。
1984年当時の普通運賃
まずは普通運賃の本を開きましょう。IATA主導で運賃額が決まる時代。もちろん観光需要を掘り起こすための特別運賃もいろいろ出回ってはいましたが、主役は普通運賃であります。
最初の方に、普通運賃の定義が書かれています。当時はファーストクラスとエコノミークラスの2クラス制で運賃が設定されており、ビジネスクラスは割増料金で対応していた(ビジネスクラスの運賃というものが存在しない)ことがわかります。今はファーストクラスを廃止する航空会社も多い中、なんとも味わい深い(?)運賃制度ですね。
さて、運賃額はどうだったのかな、と思ってページをめくります。
まずは東京発ニューヨーク行きの運賃から。「経路」の欄、ニュースレターの連載でも好評の連載『運賃の仕組みの話』第1回で取り上げました。覚えていますか?
直行便ないしアメリカ国内での乗り継ぎなら経路は「PA」になりますから、その「Y」の運賃額を見ると、一般的なエコノミークラスのニューヨーク往復ということです。496,900円だそうです(太字を見てください)。
ちなみに、これを書いている時点で、2021年7月1日発で日本航空の同じ区間の普通運賃を調べたところ、816,000円でした。約1.64倍になっています。
度々引用する国家公務員の大卒初任給の比較では、昭和59年4月が112,800円。平成31年が186,700円なので、約1.66倍。ほぼ物価上昇に合った運賃額の推移と言うことができそうです。
続いて、今度はヨーロッパ方面でロンドン行きを見てみましょうか。
TC2全体の運賃表なので、ロメとかルアンダとかアフリカの都市も並んでいるのがわかります。で、肝心のロンドン。ニューヨーク行きと比べて、経路がずいぶん多いですね。
「EH」はいわゆる南回り。「TS」はシベリア経由。「AP」は太平洋と大西洋を越える長いルート。ここまではわかるとして、さて「PO」とは。
これ、今はもうIATAにも存在しないようですが、「Polar」か何かの略ですかね。北極圏を通って飛行する経路のことです。古い資料をあちこち探して、その定義が見つかりました。
PO : Fare components/sectors between Area 2 and Area 3 on polar flights from/to Europe-Japan/Korea via Area 1 on any routing which does not touch a point in North America south of 60 degrees North Latitude
ヨーロッパと日本または韓国の間を、TC1上空を通り、かつ北米大陸内の北緯60度より南の空港に立ち寄らないルートのこと、と定義されています。もし北緯60度以南の空港を使うと、それは「AP」になるわけですね。
当時は冷戦の最中。民間機がソ連上空を気軽に飛行するのは難しい状況でした(中国も同様)。そこで登場するのが懐かしのアンカレッジ(あ、ぼくは知りませんよ。「よく聞く話」として)。アンカレッジ国際空港は北緯61度10分28秒に位置し、「北緯60度以南の北米大陸の空港に寄らない」という「PO」の定義を満たします。日本を飛び立った飛行機はまず北太平洋に出て、アリューシャン列島に沿ってアンカレッジへ。ここで給油した後、北極圏(アメリカの連邦航空局の定義では、北緯78度以上を指す)をまたいでヨーロッパに入る。そういうルートです。当時のメインルートだったと言えるでしょう。
今でこそ「TS」つまりシベリアを横断してロシア上空からヨーロッパに入るのが一般的ですが、この航路の開拓者は日本航空でした。1967年に開設された(アエロフロートと共同運航)羽田-モスクワ線が世界で初めてシベリア上空を飛ぶ路線だったのです。
1970年にはモスクワ経由パリ行きの自主運航が始まり、日本航空はヨーロッパを目指す最短経路の先駆けでもありました。その後、1990年代になってロシアの外貨獲得の手段としてシベリア航路が広く開放され、アンカレッジ経由の「PO」が廃れてしまったのは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
とは言え、1984年の段階では、様々な航空会社が様々な寄港地を経由する便を運航しており、普通運賃の額はどのグローバルインディケーターを取っても同じだったようです。
ひとつ、このタリフを読んでいてちょっとおもしろかった発見を。
グローバルインディケーターの定義が書いてあるページです。TC2-3のところに「PO」がありますね。ただ、当時はこのアンカレッジ経由(この時代の飛行機の性能では、北極圏を通って直行は無理)のみが正統派「北回り」として認められていたらしく、「TS」も「DU」(今なら「RU」ですね)もまとめて「南回り」と定義されています。「EH」がドバイ経由でもシンガポール経由でもなく「インド経由」として例示されているのにも、時代を感じます。
順番がおかしくなりましたが、この運賃額を見て、「ロンドンってニューヨークより安かったのか」と思ったあなた。この運賃表は「片道あたり」のものです。往復運賃が片道の2倍だから、こういう書き方だったんですかね。さすがに当時在籍していた社員は残っていないので、聞くことができませんでした。残念。
続いて特別運賃
長くなりましたが、特別運賃の本を開きます。
まずは「特別運賃とは何ぞや」というところから。
なんとこの時代(と、今回は驚いてばかりですが)、グアムとサイパンに行くものを除いて、特別運賃はエコノミークラスしかありませんでした。今はビジネスクラスにも安い特別運賃が出ていますし、航空会社によってはファーストクラスもあります。
早い話、「安い客は定価を払ってくれる人と別に扱うよ」と言いたげな感じ。同じエコノミークラスでも、普通運賃を支払った旅客とは別に考えられているそうですし。
そんな特別運賃、ニューヨークに行く場合はどんなだったかというのがこちら。
字が細かくなってしまい、すみません。雰囲気だけ。
参考ということなのか、左に普通運賃も載ってます。496,900円でしたね。
「特別運賃」という名称で割り引かれているもので455,100円。うーん、安くない。「アペックス」というのは事前購入型。早めに買って、繁忙期を除き360,900円ですか。普通運賃よりは安くなりましたが、これに1.6を掛けて今の物価に換算すると、ちょっと手が出ないです。
団体旅行が主流だったのかな、と考えると、IT運賃は今より出番が多かったのかもしれません。一番安い時期で262,000円だそうです(脚注に「特別アッド・オン運賃を適用」云々と書かれている意味がはっきりしませんでしたが、政策的に安く出したものだろうと解釈しています)。今の感覚だと40万円とか。やっぱり、相当のお金持ちじゃないと海外旅行はできないみたいです。
こうして見ていくと、海外渡航が自由化されて20年経つとは言え、本当に庶民が海外に気軽に出かけられるようになったのは、最近のことなんですね。
ついでなんで、最後にロンドン行きを。
北米方面と違って、IT運賃の割引率が高いのがわかります。普通運賃が810,800円のところ、「GV20A」運賃の最安値、ゴールデンウィーク明けから夏休みまでは328,000円。6割引きですよ! ま、それでも現在の価値で航空運賃だけで50万円って言われたら、ぼくは行けませんけど。
過去の記事で見てきたように、ヨーロッパ方面は冬の閑散期に割安な運賃を出して需要喚起を図る傾向もあり、次回はもうちょっと詳しく運賃の変化を辿っていきたいと思います。
長くなりました。最後までお読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに!
この記事を書いた人:
関本(編集長)