日本発の国際航空運賃が現地発に比べて割高なのは、為替相場の実態とIATAのレートがかけ離れているから、ということは以前に学びました。
では、為替相場はどんなふうに変動したのか。それによって日本から海外に行く人はどう変化したのか、ということを今回は見ていきます。その前提として、今回取り上げる期間は概ね「日本円が強くなる」時期だったということを踏まえてください。日本が国際社会で経済力を蓄えていった。その中でバブル景気があったり、いろいろ難しい経済的な部分も出てくるわけですが、海外旅行客の増加は、日本の経済力の発展と同期する面が大いにある、ということをご理解いただければと思います。
豊かになっていく日本と海外旅行
今ではちょっと考えられないような気もしますが、戦後、昭和の時代は大変に景気が良く、銀行にお金を預けておくだけで、ずいぶんたくさん利子がついたような話も聞きます。それだけ、懐に余裕が出てきたということですね。
ただ、みんなが多くのお金を手にすれば、当然インフレになり、物価が上がって、日々の生活が豊かになることには繋がりません。それでも、旅行しようとする人にとっては、手元のお金が増え、日本円が強くなることは、海外に行きやすくなる重要な要素となります。
そんな時代の変化を表で見ていきましょう。
年 | 主な出来事 | 1米ドル | 日本人出国者数 | 大卒初任給 |
1964年 | 海外渡航自由化 | 360円(固定) | 127,749人 | 19,100円 |
1970年 | 大阪万博開催 | 同上 | 663,467人 | 31,510円 |
1972年 | 札幌五輪(冬季)開催 | 308円(固定) | 1,392,045人 | 47,200円 |
1980年 | 株式会社インターナショナルツアーズ (HISの前身)創業 | 250円前後 | 3,909,333人 | 101,600円 |
1984年 | OFC創業 | 225円前後 | 4,658,833人 | 112,800円 |
1992年 | ヨーロッパ行PEX運賃導入 | 135円前後 | 11,790,699人 | 175,300円 |
1997年 | 拓銀・山一證券経営破綻 | 125円前後 | 16,802,750人 | 184,200円 |
上記のデータは三井住友銀行のウェブサイトで公開されている為替統計データ、日本政府観光局や人事院の公式な資料を基に作りました。米ドルの相場は1年間でもかなり流動的な年があり、全体的なイメージとして捉えていただければと思います。
さて、固定相場制から変動相場制に移行し、1984年と1992年の間に、米ドルのレートが大きく変わっています。1985年のプラザ合意に端を発するドル安誘導の影響です。急激な円高で日本の輸出産業が大打撃を受ける一方、国内では政策的に金余りが発生した経緯については、ここでは専門ではないので詳しく説明しませんが、Wikipediaなんかにも書いてある話ですので、興味がある方は、そちらをどうぞ。
固定相場制の時代に日本人出国者数が増加したのは、もちろん余裕のある人が登場したというのもあるでしょうが、どちらかと言えば、ほとんどなかったものが新たに生まれた時期。
その後、1980年の札幌オリンピックあたりまでが、海外観光旅行が定着する最初の時期(ジャルパックが若者向けに「ZERO」というブランドを発表したのが1978年。この頃、海外旅行がお金持ちの道楽ではなくなったことが窺えます)。そして、80年代後半のバブル景気を背に、給料は増えるし、円は強くなって現地で豪遊できるし、ということで海外旅行が身近になった。そういう流れが想像される表でした。
しかし、今もドルは大体100円から110円くらいをうろうろしていますので、85年からの下がり方というのは、ちょっと想像できない大変な動きですね。それ以降、「このままいけば1ドル=50円!」なんて言われた時期もあったような気がしますが、落ち着くべきところに落ち着いているという感じでしょうか。
個人的には、円高に振れた方が旅行しやすくていいんですが、海外と商売している人は大変です。
日本発運賃は割安になったのか?
収入が増え、物価が上昇すれば、航空運賃もそれに釣られて上がっていきそうなもの。ただ、日本発の国際航空運賃はそもそもが相対的に割高で、それを是正する方向で調整が図られていた歴史があります。
そして、なかなか下げにくいIATA運賃ではなく、IATA外の運賃設定で実質的に安価なものを供給することで需要の拡大を図る動きから、いわゆる格安航空券という「数を集めて安く売る」手法に移り変わりつつ、全体的には実勢価格を押し下げてきました。
次回は、その中で80年代後半から90年代まで運賃設定がどう変わったのか、またタリフの内容をご紹介しつつ、解説していきます。
この記事を書いた人:
関本(編集長)