【第27号】1. 日本発運賃の歴史と変遷(その19)キャリア運賃とアライアンス

 前号では1992年に登場したキャリア運賃「ゾーンPEX」について触れました。実際に販売された航空券のうち、 どのくらいの割合がIATA運賃で、残りどのくらいがキャリア運賃だったのか(当然、IT運賃の割合が大きかったはずですが)までは手元に資料がないため、個人的には、なんとなくこのタイミングを「キャリア運賃への転換の第一歩」と捉えています。

 さて、高い代わりに便利だったIATA運賃がなくなると、航空会社は何を考えるのか、というのが今回のテーマです。

 

前回までの記事はこちら

 

 

キャリアごとに運賃が設定される意味

 キャリア運賃は、航空会社が任意の区間、時期について自由に運賃額を決められるものです。ゾーンPEXでは下限額がゾーンとして決まっていたわけですが、営業上の施策で意図的に横並びにしない限り、たとえば「12月1日に東京からロンドンまで行きたい」と思って調べると、JALとANA、あるいはブリティッシュエアウェイズは、似たような時間帯でも運賃が違います。また、乗り継ぎとなるスカンジナビア航空やらルフトハンザドイツ航空やら(時代を踏まえて、サベナ・ベルギー航空とかスイス航空とか入れてもいいですけど、若い方はご存知ないでしょうか)も選択肢に加えると、まぁ、探すのが大変。

 

 直行便が飛んでいれば、いいでしょう。モロッコのカサブランカまで行こうとしたらどうなるか。当然、どこかで乗り継がなければいけません。現在のモロッコ領土の多くはかつてフランスの保護領でしたから、エールフランスが強く、パリで乗り継ぐとスムーズ。ルフトハンザドイツ航空あたりも、アフリカを広くカバーしていますので、可能性あり。ただ、JALとANA、これはどうにもなりません。だって、直行で行けるヨーロッパの都市より先は便がないんです。

 IATA運賃なら、どの航空会社も比較的自由に乗り継げましたから、「パリまでJAL、その先はエールフランス」という組み合わせが可能でした。しかし、JALにしか乗れないJALのゾーンPEX運賃で、JALが飛んでいない遠いところまで行こうとすると、無理が出ます。それを解消するため、他社便の座席を自社で売らせてもらう「コードシェア」などの考え方が生まれてくるんですが、いろんな目的地をカバーしたいからと言って、手当たり次第にコードシェアの契約をするわけにはいきません。また、どの路線のどの便でコードシェアするか細かく決めるのも手間ですし、JALで買ったからJALのつもりで乗り継いだら、なんかサービスが悪くてどうしたのかと思った(JALのサービスがいいと仮定しての話です)、なんてお客様に思われたら、「次からは別の航空会社で行きます」と言われかねません。

 そこで、もっと広範囲に提携し、お互いの弱いところを補いながら、顧客にとってもメリットのある乗り継ぎになるよう、異なる地域の航空会社同士が協力し合おう、という考えが生まれました。これによって成立したのが「アライアンス」です。

 

 

アライアンス成立の歴史

 そもそも異なる大陸の航空会社同士が広範囲に提携し、共通のサービスを導入するというのは、調べた限り、1993年頃に始まったアメリカのノースウエスト航空(現在はデルタ航空に統合)と大西洋を挟んだKLMオランダ航空の2社間が最初のようでした。

 日本でゾーンPEXが発売されたのは1992年。先駆けて時代の変化が生じていたアメリカあるいはヨーロッパマーケットでは、ドル箱である大西洋路線の利便性向上のため、両大陸のハブ空港より先をきめ細かく結んでくれる相手先を探し、一緒にやっていこう、という流れが既にできつつあったわけですね。

 ノースウエスト航空とKLMオランダ航空は、単にお互いの便を販売し合うだけではなく、「ワールドビジネスクラス」という同じビジネスクラスの座席を導入し、サービスも共通にすることを目指しました。もしかすると、1社ずつ開発するよりも、まとめた方が初期費用が安くつくなどということもあったかもしれませんが、アムステルダム(KLMのハブ)からデトロイト(ノースウエストのハブ)まで、たくさんあるうちのどの便に乗っても、いつもと同じサービスというのは、頻繁に利用する人からすれば便利ですね。

 

 後にアメリカのコンチネンタル航空(ノースウエスト航空が出資していた)やイタリアのアリタリア航空を巻き込んでいったこの流れは、2004年になってスカイチーム(2000年設立)にまとまることで、更に発展していくことになります。もっとも、スカイチームでは、共通の座席の導入までは進まず、専らマイレージプログラムの利便性向上と、ラウンジなど地上サービスの充実が主な重要項目だったのでしょうか。今日の一般的なアライアンスの形が出来上がりました。

 

 マイレージプログラムだけに着目すると、1992年に設立された「クオリフライヤー」というグループもありました。ヨーロッパの比較的小規模な航空会社が集まってできたような組織で、顔ぶれを見ると、スイス航空、サベナ・ベルギー航空、AOMフランス航空は倒産。オーストリア航空やクロスエア(スイス航空の子会社で、後のスイスインターナショナルエアラインズ)はスターアライアンスに合流、などと複雑な運命を辿った会社が多く集まっていました。

 ちなみに、クオリフライヤーは2002年に消滅しています(サベナとスイス航空倒産の影響により)。

 

 

 さて、90年代前半の航空会社の動きを少しご紹介しましたが、その後、アライアンスは順調に拡大していくことになります。次回は、その辺の運賃のお話をできればと考えています。

 

この記事を書いた人:

関本(編集長)

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